親愛なる Tさんからの葉書に
嬉しいお知らせが 書いてあったの。
11日の 日曜日 午後14時から15時24分の間に
TBSで 「マヤの祈り」 っていう番組が放送されるんだって。
勿論 グァテマラが盛り沢山! なんだけど
そこにね
私の織物の先生 イレーネが映っているかもしれないんだって!
サン・アントニオ・アグアス・カリエンテス という村に住む
笑顔の素敵な ↓ 女性が映ったら・・
是非 「イレーネ!」 と 呼びかけちゃって 下さいマセ!
TBS マヤの祈り
密林に栄え、密林に消えた神秘の文明・マヤ
中米に残る謎のピラミッドとマヤの末裔たちに出会う旅
樹海を突き破り、天に向かって伸びる巨大な石のピラミッド。中米・グアテマラの北部にあるティカル遺跡には、巨大な5基のピラミッド(神殿)と巨大住居跡など3000以上の建造物が点在する。ティカルは紀元前200年頃から1000年以上にわたって栄えたマヤ文明有数の王朝都市だ。この古代都市には最盛期は5万人をこえる人々が住んでいたと言われている。
ティカルと同じマヤ古典期(紀元後250~900年)に栄えたホンジュラスの古代都市がコパン。海抜600メートルの山あいの谷間には、数々のステラ(石碑)や祭壇、ユニークな動物の彫像などが今なお残っており、"高浮き彫り"と呼ばれるマヤ芸術最高の立体的な彫刻を生み出したことで知られている。たくさんのマヤ都市のなかでももっとも美しい都市だ。
紀元前から16世紀の滅亡まで、マヤの人々は密林の中で独自の文化圏を形成した。特筆すべきは、現代の暦に匹敵するほどの正確なカレンダーを生み出した天文学と数学の高い知識。他の文明のように大河の周辺にあったわけではなく、密林に孤立した中で、なぜこれほど高度な都市文明を築き上げることができたのか?そしてティカルやコパンを初めとするたくさんの古代都市が9世紀頃になると突如として衰退してしまったのは何故なのか?エジプトや中国など、他の古代文明に比べ解明が遅れた「マヤ文明滅亡の謎」が今、研究者たちによって解明されようとしている。
密林に栄え、密林に消えた神秘の文明・マヤの謎とインディヘナと呼ばれるマヤの末裔たちに出会うため、考古学者の吉村作治と女優・鶴田真由が中米・グアテマラのティカル遺跡とホンジュラスのコパン遺跡を訪れる。
■天空への祈り~ティカルの巨大ピラミッド群
中米グアテマラ共和国。ホエザルの声が響き渡る密林にティカル遺跡の象徴ともいうべき5基のピラミッドがそびえている。
「このサイズは人間サイズじゃないですよね。何のために、こんな大きいものを作ったんだろう」
鶴田が驚いた巨大ピラミッド。もっとも高いものは70メートルを超える。急勾配の階段を上り詰めると、眼下にはうっそうとした樹海が広がる。
「高いところに登りたくなる気持ちがすごくわかるな・・・。すごく天に近い感じもするし、なんだか空が飛べそうな気もするし。天と地の間で無心になっていると色んなことがひらめくんでしょうね」
いにしえの国王や神官たちが天空への祈りを捧げた神殿が密林からそびえ立つ。見渡す限りの樹海に人類の手による建築物と自然とが一つになった荘厳な景色。そこには、人類と自然とがどう共存していくべきかが示唆されているように思える。
■1500年の時を越えて~地底に眠る神殿
中米ホンジュラス、グアテマラとの国境近くに栄えた古代都市・コパン。マヤの他の都市よりも石造彫刻が多数残っていて、残存するマヤ文字も一番多いことから「アメリカ大陸のアテネ」とも呼ばれる。
そのコパンのあるマヤ地域南東部をフィールドとして20年以上の間、発掘を続けている日本人がいる。マヤ考古学者・中村誠一氏。中村氏率いる調査隊が今も発掘を続けるコパン遺跡を吉村作治が訪ねた。
コパン遺跡、16号神殿の地下およそ30m、非公開の発掘用トンネルの先に壁面を赤く塗られたマルガリータ神殿が眠っている。コパン初代の王「ヤシュ・クック・モ」を祭った神殿だ。
「綺麗な色だ。これは感動的。これがずっと埋まってたんですか」
首を交差させる二羽の鳥が彫られたレリーフ。吉村作治もその保存の良さに驚きの声を上げる。古代マヤには過去の時代の建物を一旦土で埋めて、その上に新しい建物を作るという習慣があった。紀元450年頃に建築されたマルガリータ神殿も、壁面を損なうことのないように、すべて細かい砂で埋められていたため、現在も鮮やかな色彩を留めているのだ。神殿を彩る赤は生命の象徴。鮮やかな血の色を思わせる。
■マヤの末裔を訪ねて~インディヘナ 伝統の暮らし
廃墟となった数多くの遺跡とともに、マヤの輝きを現代に伝える人々がいる。インディヘナと呼ばれるマヤの末裔たち。彼らは遥か昔から、大地と水の恵みを受けながら古代と同じ作物を作り、自然とともに生きる暮らしを続けているのだ。天体の動きから暦を作り、農業に役立てていたマヤの人々は、多くの農作物を生産した。主食のトウモロコシをはじめ、カボチャやトマト、そしてチョコレートには欠かせないカカオも、マヤ時代からこの地で栽培されている作物だ。当時のカカオはヒスイと並ぶ貴重品。カカオ豆の学名はテオブロマ・カカオ=ギリシャ語で「神様の食べ物」という意味で、マヤ時代のカカオは儀式に供える供物や医薬品として使われていた。ホンジュラスとの国境近くのキリグアに住むマリアさんは、今もマヤ時代と同じ製法でチョコレートを作っている。初めてマヤ時代のチョコレートを口にした吉村は、独特のほろ苦さが癖になりそうだと絶賛。
作物の植え付けや収穫は、天空や大地の神に祈り、一家総出で行う。鮮やかな伝統衣装を着た子供たちが、どろんこになって収穫を手伝っている。空に祈り、大地を耕し、家族で力をあわせる。現代社会が忘れてしまった心豊かな暮らしが今も続いている。
■17種類の暦の謎
マヤ時代の人々は、我々が現在使っている太陽暦と同じ365日暦と、宗教的な目的で使われたと思われる260日暦の2つを中心に17種類もの暦を使っていたと思われている。なかでも一番不思議なのが5000年以上にわたって時を刻む長期暦。コパンと深い関係にあったキリグア遺跡に残るステラ(石碑)には紀元前3113年8月の長期暦最初の日が記されている。そして、この暦は西暦2012年12月21日で終わっている。マヤには暦が終わると世界が洪水で滅ぶという神話もある。マヤの人々は2012年の世界にどんな思いをめぐらせていたのだろうか。
吉村作治は、長期暦の終わり=世界の終末というわけではなく、文明にも天体や自然と同じような周期があって、それを繰り返すと考えると、また新たな進化を遂げるための第一歩を踏み出すという意味ではないかと前向きに語る。